南三陸の「弁慶岩」について ~弁慶が田束山から投げたという伝説がある岩

こんにちは、南三陸うたつ丸栄水産スタッフです。

~宮城県 南三陸町にある弁慶岩について~

 

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古都・京都には「弁慶石」と呼ばれる石があります。
武蔵坊弁慶が五条大橋から投げたといわれる巨石だそうで、現在は京都市中京区弁慶石町に置かれています。

 

当店が所在する宮城県 南三陸町にも同じような由来を持つ岩石が存在します。
南三陸町にあるのは「弁慶岩」と呼ばれる岩です。

 

■南三陸の「弁慶岩」の伝説

この岩の弁慶にまつわる伝説について、以下、町史からの引用です。

安元(一一七五~七六)ごろ平氏に鞍馬を追われ秀衡の庇護を受けていた義経主従が本吉海岸に来て武技・用兵の修練をした。その節弁慶が田束山上からエーッと投げ飛ばしてよこしたのがこの弁慶岩ということになっている。真偽は別として、そんな伝説である。

出典:『歌津町史』(昭和61年発行)

弁慶岩

 

弁慶が田束山(たつがねさん)から投げた岩が、「弁慶岩」だという、そんな伝説があります。

ここに出てくる田束山とは標高512mの山で、宮城県の北東部にあります。

↓田束山の場所はこの赤い三角印がある辺りです。南三陸町と気仙沼市にまたがっており、平泉がある岩手県に近い位置です。

宮城県 田束山

“霊峰”田束山ともいわれるこの田束山は、古くは神仏習合の山であるとともに修験(しゅげん)の山でした。

まさに霊山というこの山を、奥州藤原氏も尊崇していたといわれています。時の世は西に平氏、東に源氏、奥に藤原氏と天下三分の形勢であれば北方の王者であった藤原氏ですが、その藤原氏と田束山との縁は深く、三代目の当主・藤原秀衡は田束山に数々の堂塔伽藍を建造して繁栄させました。また、秀衡の4男 高衡がこの地に派遣されてこの山を見るに、故郷平泉の束稲山(たばしねやま)に似ているとして「田束」ともじったことから、「たつがみね」と呼ばれていたこの山は「田束山」と表記するようになったと伝えられています。

秀衡の庇護を受けていた源義経主従が長き平泉滞在中に藤原氏ゆかりの田束山を含むこの辺りの地を訪れた可能性はあり得ます。

田束山山頂より太平洋を望む
現在はツツジの名所として知られる田束山

 

さて、南三陸の弁慶岩ですが、地元民にもほとんど知られていないと実感します。

私自身、南三陸の弁慶岩の存在を知ったのは最近のことで、弁慶岩の実際の場所についてはまだ把握できていません。

『歌津町史』によれば、泊地区(南三陸町の東端の、磯場の多い地区)の、数ある磯場の中の一画にあるとのことですが、今のところは地元に長年住む年長者の複数に尋ねても知る人はおらず弁慶岩の名すら初耳、という様子です。

 

■宮城県には弁慶岩が他にもある

南三陸町のほかにも、弁慶岩と呼ばれる岩が宮城県内に存在します。

宮城県 栗原市の、一迫町は小僧(こぞう)という地域にあります。

『宮城の伝説』(角川書店・昭和54年発行)によれば、崖の中腹に巨石が王座の椅子のようにせり出していて、義経主従の二度目の平泉落ちの途中、弁慶が腰をおろして休んだという所になります。また同書に書かれていることには、のちに松尾芭蕉が、「小僧とや弁慶岩や早松茸(はやまつたけ)」という句を詠んだといいます。

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宮城県 南三陸町の海産物専門店「南三陸うたつ丸栄水産」の、スタッフ便り(ブログ)のページです。

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